沖縄のシルバーアクセサリーといえば沖縄手作銀細工「琉」
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針突(ハジチ)とは古来から琉球諸島で広く行われていた女性の入れ墨です。
成女儀礼や子孫繁栄、魔除けなどのために指や手の甲などに施されました。 明治32年(1899年)に日本政府から禁止令が出されましたが、 昭和の初期まで密かに行われていました。 少し前までは高齢の女性に散見されていたようですが 最近はもうご存命の方がいらっしゃらないと推測されます。 ハジチセーク(針突き職人、ハジチャーとも)とよばれる専門の女性がいて 施術時間は3,4時間程で「首里那覇では今、菱形模様が流行っている」などと、情報を提供して ハジチ商売をしていたようです。 地方の女子たちは、1〜2年に一度やって来る針突師を心待ちにしていたそうです。 初めて針突をする手を「サラ手。サラてぃー」と言い「まっさらな手」を意味しました。 奇数年齢の年の吉日を選び、そのサラ手に「ハジチ」が施されると、 家族はもちろん、友人知人が集まり、祝いの座が設けられたそうです。 両手に23の文様を彫りこんで完成とし、その頃が結婚適齢期とされていました。 針突(ハジチ)の紋様は地方、時代、身分によって 様々な模様がありました。 かつてこの習慣が広く行われていた時代には、 違った島あるいは違った社会階層から来た女性は、 手や腕に彫り込まれた模様によってただちに区別することができたそうです。 沖縄手作銀細工「琉」では、その中でも象徴的な意味とデザインのものを選び アクセサリーにしました。 他ブランドにあるように、デフォルメや拡大解釈はせず、出来るだけ忠実に模様を再現致しました。 イチチブシ(五つ星) この模様を施すと「極楽に行ける」といわれていて、沖縄地方全域の針突のある多くの女性の手首に見る事が出来ました。 アマン ヤドカリガニの形を表しています。 アマンという神が海原を槍でかき混ぜて島を作ったと伝えられています。 その島から出てきたヤドカリガニの穴の中から人間の男女が産まれたと考えられており 「自分達はアマンの神の子孫である」ということから、「子孫繁栄」の意味を込めてこの模様を施したと言われています。 主に八重山地方に見られた模様です。 マンダマーナ(四弁花紋) 手の甲の中心施された模様です。元は奄美群島の徳之島の模様であると言われていますが、沖縄では竹富島で数例見られたということです。アマン(ヤドカリガニ)模様の発展系だとみられています。 タカゼン(高善) この模様はお箸と盆の形を表す事から、食べ物に困らないようにという意味で「出世」の願いを込めて施されました。 宮古島に見られた模様です。 トゥギャー 弓の矢を象った模様で地方によって様々な柄がありました。矢は射られると飛んでいき戻ってこない様に、嫁に行ったら戻る事が無いようにとの思いを込めて、指に彫られました。 また、「矢で刺す」ということから「魔除け」としての意味もあったようです。 参考文献:南島針突紀行(市川重治著・那覇出版社):針突 名護市針突調査報告(名護市教育委員会):琉球の記憶 針突(波平勇夫解説・山城博明写真・新星出版) 針突シリーズ商品一覧 指輪 首飾 腕輪 耳飾 |
沖縄手作銀細工「琉」は、ひとつひとつ手仕事によって仕上げられているシルバーアクセサリーのブランドです。東京やパリなどのフィールドで活動・展開をしてきた銀細工の作り手大學清が、ここ沖縄の浮島通りで日々に添えるアクセサリーから特別な時間を飾るアクセサリーまで、沖縄にこだわったオリジナルのシルバー作品をお届けします。沖縄手作銀細工「琉」
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